群馬県立中央中等教育学校
Gunma Prefectural Chuo Secondary School
群馬県立中央中等教育学校
Gunma Prefectural Chuo Secondary School
①高橋 志歩(たかはし しほ) 保健体育科、3年4組 ⑧(1)部活動(2)通学(3)体育祭 |
①川島 日向子(かわしま ひなこ) 英語科、2年4組 ⑧(1)英語(2)部活(3)最後の体育祭のダンス |
①関 麻夏(せき まなつ) 家庭科、4年3組 ②女子栄養大学 栄養学部 保健栄養学科 栄養科学専攻 ③高校生運動部の体組成の変化と食事の関係について ④3週間 ⑤スポーツ栄養サポート部 ⑥みなかみ町立桃野小学校 ⑦前期:バレーボール部、後期:野球部マネージャー ⑧(1)部活動(2)通学(3)ミニテストの勉強 ⑨色々なことにチャレンジして、充実した毎日を過ごしてください!よろしくお願いします! |
①小野雄平(おの ゆうへい) 保健体育科、5年1組 ②筑波大学 体育専門学群 ③野球の打撃における「バットのヘッドが走る」という動感の志向性について ④3週間 ⑤硬式野球部 ⑥高崎市立大類小学校 ⑦野球部 ⑧(1)授業をきちんと聞くこと(2)部活動(3)今井パン…? ⑨皆さんにできるだけ多くのことを伝えたいと思いますので、よろしくお願いします! |
①清水乃理子(しみず のりこ) 国語科、4年2組 ②立教大学 文学部 文学科 文芸・思想専修 ③ルネ・マグリット『言葉とイメージ』について(予定) ④3週間 ⑤マラソンサークル ⑥高崎市立下室田小学校 ⑦陸上競技部 ⑧(1)部活(2)勉強(3)食事 ⑨3週間よろしくお願いします。学生時代の貴重な時間を存分に楽しんでください。 |
①鈴木美空(すずき みく) 保健、2年3組 ②千葉大学 教育学部 養護教諭養成課程 ③中高校生の部活動種別の活動時間とけがの種類・頻度・重症度との関係 ④3週間 ⑤テニスサークル ⑥藤岡市立小野小学校 ⑦テニス部 ⑧(1)部活動(2)受験勉強(3)英単語のテスト ⑨中等での経験はすべて自分のためになります。自分を支えてくれる周りの人への感謝を忘れず、さまざまなことにチャレンジして充実した学校生活を送ってください! |
①齋藤千紘(さいとう ちひろ) 音楽、1年4組 ⑧(1)部活(2)受験(3)数学(苦手だったので・・・) |
①内田雅紹(うちだ まさあき) 化学、5年3組 ⑧(1)部活(2)掃除(3)勉強 |
①箕輪拓真(みのわ たくま) 日本史、5年2組 |
3年3組 |
2年3組 |
3年4組 |
1年2組 |
2年2組 |
1年1組 |
2年4組 |
1年3組 |
3年2組 |
2年1組 |
3年1組 |
1年4組 |
戦争が終結してから70年余り、私の祖父も終戦から数年後に生まれた戦後生まれで、私の家には戦争を本当に知っている者は誰もいない。私も、戦争をテーマにしたテレビドラマを見たことがあり、どこの戦いで勝った・負けたは多少知っていたけれど、徴兵されずに町で暮らしていた人や、夫を徴兵されてしまった母子たちがこの戦争をどんな風に思ってどんな風に生きたのかということはまったく知らなかった。「東京大空襲3・10」を見て、軍部や政府が始めた戦争に巻き込まれたのにも関わらず、思想を強要され、情報を統制され、乏しい食料で生活した人々の息苦しさが伝わってきた。爆弾が東京の下町に落とされて、人々が逃げ惑う姿はとても残酷だった。しかし、その中でも、お互い助け合いながら生きようとする人々の心は、とても美しいと思った。そして、そんな心を持った人々が何十、何百万人も殺されたかと思うと、戦争というものが絶対に起こってはいけないものだと感じた。私は、この演劇を見て、戦争を起こしてはいけないという考えや、一人の人間の命の価値が最高のものであると考える感覚がもっともっと世界中に広がっていってほしいと思った。 最後に、テレビやドラマや映画と比べて、セットも人も大規模ではないにも関わらず、場面が変わると空気がガラリと変わり、ステージから遠く離れた場所の私の席にもその空気がひしひしと伝わってくるこの演劇に圧倒されました。素晴らしい演劇を本当にありがとうございました。(2年)
私は今回初めて演劇というものを観させていただきましたが、そこからテレビや本などとは違った別の世界観、迫力を強く感じました。また、役者さんがその人物に完全になりきって演じていたのを観て、とても感激し強い憧れを抱きました。 観劇し終わって、二つの強く心に残るものがありました。一つは、劇が始まってからすぐは少し滑稽味を感じさせる雰囲気があったのにもかかわらず、クライマックスシーンではその場で実際に見ているようなジーンと心に迫る演技や展開で観客を感動させていたことです。もう一つは、「失って気付く大切さがある」ということです。日々の生活の中の些細なことをはじめとして人の命、平和など、非常事態のようすを観て本当に大切なものなのだと感じました。そして、つい忘れがちになってしまう両親や友人、先生や知り合いの人たちの存在とその繋がりの大切さを、これからは意識して日々生活していきたいと思いました。(3年)
貴重な体験をさせていただき、ありがとうございました。 イントロであれだけコメディ風だったにも関わらず、最後の方になると重苦しさがどんどん増してきて、戦争の悲惨さが分かった。日頃テレビなどスクリーンを通して戦争について触れることはあるが、演じているのを直接見ることは初めてだったが直接ならではの迫力が感じられた。戦争を後世に語り継いでいくことが今の時代に生きる私達に課せられた使命だと改めて実感できた。貴重な経験をどうもありがとうございました。(4年)
最初に明るくて気軽な雰囲気を展開してくださってくれたおかげで親しみやすい演劇でした。のめり込んでいるうちに、本質である「戦争」の話に入っていて気づけば私は涙を流していました。周りに戦争を経験した方が少なくなった今、演劇によって苦しみ、悲しみを感じることができて、とても良い経験になりました。教科書に中では「東京大空襲」のたった5文字で終わってしまう出来事の中には、10万人のそれぞれかけがえのない人生があり、愛や助け合いの精神が燃えさかる炎の中に存在していることを知りました。「戦争」からは何も生まれない、その上愛が壊されるそれらのことをふまえながら今後の人生を歩んでいかなければならないと感じました。役者さんたちの熱い想いが私の心に届きました。良い演劇をありがとうございました。(5年)
私の祖母は東京大空襲の初期、東京にいて空襲がひどくなる直前に群馬に疎開してきたそうです。祖母から当時の話は何度も聞かされていますが、私は関係ない、という思いが心底あって昔話のように聞いていました。だから今回の講演も、"遠い昔の悲惨な出来事"と軽く捉え、そういう心構えでいました。しかし終盤にさしかかると、その迫力とリアリティーに圧倒されてしまいました。口頭で「悲惨だった」とか「忘れてはいけない事実」と言われても正直、重く受け止めていませんでしたが、実際にお芝居を見てその世界に入り込むことでよりその実態をつかむことができ、新たな知識を得ることができました。あれ程の惨事の中でも人々が助け合い、指揮をとり、励まし合う姿に感銘を受けると同時に、人間の強さとあたたかみを感じました。(6年)
みんなで協力して「火」を起こした。12回くらいやったけど、1回しかつかなかった。しかしだからこそ、1回ついたときの感動と達成感がすごかった。「協力」する大切さを学んだ。(1組のYさん)
三原則
今日は生活態度についてより詳しく学びました。あいさつの三原則、話を聞くときの三原則など、これからずっと使うような大切なことです。これからも忘れず、自分で考えて行動したいです。
中村先生の言う「あいさつの三原則。」①相手の目を見る。②相手より早く声をかける。③つま先を相手に向ける。「話を聞く三原則」①相手の目を見る。②うなずきながら聞く。③ときおり、笑顔を向ける。(2組のKさん)
ウォークラリー
ウォークラリーではビンゴに書いてある自然の中でしか見られないものも見つけられたのでとてもよい経験になった気がしました。中には須永先生のひげや、さわやかな笑顔の方も見つけられました。班のみんなで協力できたと思います。(3組のAさん)
キャンプファイヤー
キャンプファイヤーの火を違う角度から見たら、まるで小さいひとつひとつの火が集まって、ひとつの大きな炎になっているみたいで、自分たちもあんな感じに、みんなで協力してひとつの輪を作りたい。星がたくさん見られた。(4組のCさん)
5年生の地球市民育成プロジェクト(総合的な学習の時間)の「世界へ発信」の英語論文を紹介いたします。(ダイジェスト版です)
全生徒の研究(Abstract)英語研究論文要旨.pdf
第8期生6学年主任 星 野 亨
福岡堅樹(ふくおか けんき)氏
福岡県出身。
5歳からラグビーを始め、福岡高校3年時に花園(全国高校ラグビー大会)に出場した。
高校時代は医学部進学を目指して勉学に励み、進学した筑波大学1年時にジュニア・ジャパンに選出された。大学2年時には全国大学選手権などで活躍し日本代表となり、昨今のラグビーブームの火付けとなった2015年のラグビーワールドカップで活躍した。今年度、パナソニック・ワイルドナイツに入団し、スピードを生かしたプレーでチームに貢献している。また、リオデジャネイロ五輪から正式種目になった7人制ラグビーの日本代表選手(セブンズ)としてベスト4まで勝ち上がったことは記憶に新しい。趣味はピアノとゲーム。座右の銘は“Stay hungry, stay foolish.”
次に...
三つ目はしっかりとルールを守ることができ、多くの事を学んだことだ。電車の中でうるさくしない。スマホは出さない、使わない。買い食いはしてはいけないなど当たり前のルールを守ることができた。とても当たり前のことかもしれないが、自由に行動できるからこそ、大切なのだと思った。そしてそれだけでなく、あいさつやお礼などもしっかりできたと思う。
最後に、今回学んだ多くのこと、研究に関わることだけでなくあいさつや思いやり、全てのことをこれからの研究に役立て、よりよい研究、発表になるように努力していきたいと思う。
2組
私のテーマは「絹遺産と近代化と私〜絹遺産による近代化と経済効果〜」である。テーマの通り私は「近代化」というキーワードを元に研究を進めようと思ってる。富岡製糸場を建てた当時もその時代よりも新しい設備やプランの元近代化されていたと思った。今の時代もその時代がより近代化してきている時代であるのだ。このような考えを持ち群馬巡検にいったものである。
富岡製糸場設立当時、日本では手に入れられないものをフランスから輸入した。蒸気エンジン、フランス式繰糸機、ガラス、サッシ、パテーなどがある。蒸気エンジン通称「ブリュナエンジン」。フランス式繰糸機はフランスでは旧式であったため安かったらしい。また、自然光が必要だったが日本ではまだガラスを作る技術が無かったため海を渡ってきたらしい。特に繰糸機は小柄な日本人のために台を低くしてもらっていた。また、湿度が高い日本で糸をつくるため、「揚げ返し」ということを行っていた。揚げ返しをしないと、糸同士がくっついてしまうからである。私はこれらのことを知り、良く考えられていてそういうところまでもしっかりしているのだなと感心した。
また、下仁田歴史館では、下仁田社のラベルかっこ(見本)を見ることができた。このラベルを貼ることにより、どこの会社のブランドなのかを示すことができた。また、富岡製糸場と下仁田の歴史についても知ることができた。
今回の巡検では新しいことをたくさん知れた。もちろん知っていた内容もあったが、その情報の正確さも確かめられたと思う。
富岡製糸場と下仁田歴史館で自分が質問したいこともきっちり聞くことができた。これらをちゃんと自分の研究に生かし、自分の研究を進めていきたいと思う。
3組
実際に調べたいものに生で対面することができて非常に良い機会になったと思います。インターネットでは分からないくわしい情報やなかなか見れないものなど体験できて、より自分の研究テーマへの興味がわいてきました。わたしは富岡産のシルクを加工してたんぱく液にしたシルクタンパク抽出液がねりこまれている食品、「食べるシルク」について調べています。私は今までシルクタンパク液に主成分のフィブロインなどの方面での研究をしていたのですが、今回巡検に行って初めてシルクタンパク液を開発した長島孝行さんのことや富岡産シルクタンパク研究会のことなどシルクタンパクに関するいろいろな方面の切り口がでてきたので世界が広がって情報がたくさんに手に入り、良かったです。
また、私は食べるシルクの良さを宣伝して他県の方などもそれを食べる目的で足を運んでいただいて富岡そして群馬全体を盛り上げることが最終目標です。だから、今回はシルクタンパク液を配合しているお菓子を食べることでどんな良い効果があるかを知ることができました。例えば、シルクタンパク液の中のフィブロインにはアミノ酸が含まれていて肌にうるおいも持たせたり、難消化性でメタボ対策にもなる。そして、無味無臭なので食品に配合しても違和感がなく、なめらかな食感を引き出してくれます。そんな、食べることによっての「メリット」をたくさん知ることができて良かったです。今後は、まだあまり広く知られていない「食べるシルク」をどのようにして食べてみたいと思ってもらうかを考えていきたいと思います。その中でもまずはそのお菓子を食べることによってのメリットをさらに調べて多くの人の興味や関心をよせられるように下準備をしていきたいと思います。今回で実際にお店をうかがえてとても良かったです。
4組
群馬巡検は、暑い中、しかも移動の半分は徒歩なので疲れたが、本やインターネットではなく現地ででしか得られない情報を集めることができた。特に、織物参考館〝紫“では、1500年ほど前の「おもり機(ばた)」から現在もこの工場で使われている「コンピュータージャカード」まで、機械の進化のようすを見ることができた。やはり、本やインターネット上の写真ではなく、本物を近くで、生で見たほうが、機械の仕組みや工夫もわかりやすかった。ほとんどの機械はガイドさんが実演してくれ、ジャンボ高機(たかはた)や半高機は自分たちでも体験できたので、織ることの大変さや苦労を少しは共感できたのではないかと思う。また、ガイドさんの説明もわかりやすく、たくさんの情報が得られた。
文化むらでは、実際に旧対比地家(ついひちけ)住宅に入って見学することができた。移築されたものだそうなので、当時と全く同じわけではないだろうが、屋根などに養蚕農家ならではの工夫を見ることができた。また、養蚕を含む農機具もたくさんあり、見ていて楽しかった。写真も撮ったので、後のまとめなどにも使えると思う。さらに、少し絹遺産からはずれてしまうが、大泉町にはポルトガル語の看板が多く、文化むらにもいくつかポルトガル語の貼り紙があって驚いた。
また、普段の授業と異なる〝学校外“での活動だった。だから、いつもは乗らない電車などの利用、公共マナーについても気にかける機会が多かった。そういった経験もできたので、よかった。移動は電車と徒歩、その上炎天下だったので大変ではあったが、総合の授業としての情報収集、学校外での活動、公共の場でのルールやマナーなど、たくさんのことを学ぶよい経験になったと思う。