カテゴリ:学校行事

平成28年度 開校記念式・記念講演会 (UPDATE)

 福岡堅樹(ふくおか けんき)
 福岡県出身。
 5歳からラグビーを始め、福岡高校3年時に花園(全国高校ラグビー大会)に出場した。
 高校時代は医学部進学を目指して勉学に励み、進学した筑波大学1年時にジュニア・ジャパンに選出された。大学2年時には全国大学選手権などで活躍し日本代表となり、昨今のラグビーブームの火付けとなった2015年のラグビーワールドカップで活躍した。今年度、パナソニック・ワイルドナイツに入団し、スピードを生かしたプレーでチームに貢献している。また、リオデジャネイロ五輪から正式種目になった7人制ラグビーの日本代表選手(セブンズ)としてベスト4まで勝ち上がったことは記憶に新しい。趣味はピアノとゲーム。座右の銘は“Stay hungry, stay foolish.



演題「有言実行」(感想)
 この講演の中で最も印象に残った言葉は「Never be happy.」だった。こんなにも衝撃的な言葉はあまりないと思う。日本のラグビーという全くスポットライトを浴びていなかった分野を数年のうちに注目の話題にしたのはこの言葉のように厳しい指導により成された結果だと思う。日本人の体格の劣りは大きな弱点であるが頭を使ってそこをカバーし、勝利してきた日本チームの勝因は、指導者はもちろん、この「Never be happy.」のもとで厳しい練習に対応していきた選手
が一丸となって持っていた勝利の執念であろう。福岡さんのお話の中には、所々に向上心の強さが表れていて、やはり世界で勝ち進む人には、どこまでいっても常に向上心が必要なのだと感じた。福岡さんは人生において何度か挫折をしたことがあったが、そのまま挫折によるネガティブな部分に引き込まれるのではなくて、ポジティブな側面を見つけて、ここまで良い流れに乗ってきた。挫折の中でポジティブな考えを身につけるのはそう簡単なことではない。しかし、これから大学入試を迎える私たちには良い結果ばかりが待っているわけではない。悪い結果を得たときに、それを自分がどれだけポジティブに捉えられるかが、自分の人生の幸せにおいて重要だと思う。だから、難しくても挑戦すべきだと思った。(6年4組、明石 伊生)

 私は、今日の講演を聞き、人生においてマイナスの出来事は、自分自身の考えによりプラスにも成り有るということです。私にも、挫折の経験が何度かあります。ですが、その挫折をプラスに変えられたこともあれば、そのまま諦めてしまうこともありました。私が6年生だった時、学校中で選ばれた人のみが出場することのできる陸上大会に出場するという目標を持っていました。 しかし、結局この目標は達成できませんでした。ですが、私はこの目標の不達成により得たものがあります。それは、陸上の楽しさです。6年生の時目標に向かって努力していたからこそ、目標こそ、達成することはできませんでしたが、私は、それを越える価値あるものを得ることができたのです。今、自分が陸上部を続けているのも、その挫折があるからかもしれません。きっと、これからたくさんの挫折を経験することがあると思います。しかし、挫折を生かすも生かさないも自分でやり、その結末を決めるチャンスでもあるのです。だから、私はこれから、挫折と言うマイナスはプラスに変えられるようにしたいと思います。私の意見ですが、挫折をプラスに変えるとしても安易な思い立ちにより、決めてしまうのでは、かえって意味がないと思います。挫折は、よく考えて、今後を決めることにより、1番良い道を選ぶことができると思います。(1年2組、濵野 彩香)


 


前期課程合唱コンクール、金賞クラス (UPDATE)


曲 名:信じる
指揮者:高井 湖々
伴奏者:小田島 史穂


曲名:COSMOS
指揮者:髙橋 愛乃
伴奏者:近光 真衣


曲 名:地球星歌~笑顔のために~
指揮者:永井 言実
伴奏者:青栁 龍之介

修学旅行(5学年)Update

テーマ:道しるべ
辺りはまだ真っ暗。そんな朝から私たちの修学旅行はスタートしました。
成田空港に着いてから、出国審査を終え、7時間のフライトの後、晴れてシンガポールの地に降り立ちました。初日は初のシンガポールでのご飯に舌鼓し、ホテルからの絶景に驚きました。2日目は現地のニーアンポリテクニックの皆さんと学校交流をし、現地の伝統的な遊びを教えていただきました。さらに、マリーナベイサンズ、ガーデンズバイザベイ、シンガポールフライヤーのシンガポールを代表とする観光地を訪問しました。夜にはナイトサファリで普段見られない動物を見ることができました。3日目には、セントーサ島さらにはUSSを満喫し、その日の夜は光と噴水ショーを見ました。4日目には、シンガポール大学の方とシンガポールを周り、ガイドブックには載っていないシンガポールを満喫することができました。さらに、シンガポールリバークルーズでシンガポールの観光名所のマーライオンをシンガポールリバーから見ました。 5年1組 大沢

テーマ:日本との同異
 2016年10月5日(水)から10月9日(日)の5日間、シンガポールへ修学旅行に行ってきた。私たちがこれから書くのは日本とシンガポールとの同異についてだ。
 まず、日本と同じだったところについてだ。おそらく海外に行ったことのないほとんどの人が、外国=左ハンドル、右側通行だと思っていると思う。しかし、驚くことに、シンガポールは日本と同じ右ハンドル、左側通行だった。初海外の人たちにとっていきなりの驚きだったのではないかと思う。また、街を通る車も日本車が多く、日本製の車は世界でも愛用されているということを感じることができた。これは、個人的な意見になってしまうかもしれないが、ホテルから見えた夜景は、明かりの消えることのない高層ビルが立ち並ぶ日本の都会を感じさせた。
 異なる点は、シンガポールという国が、日本では味わえない沢山の文化が混在する、異文化社会だったことだ。チャイナタウン、アラブ・ストリート、リトル・インディアなど、通りの名前からも分かるように街行く人を見ていても、様々な文化が入り混じっていた。こんな、光景は日本では見られないものだと思った。また、地下鉄(MRT)の構内は、とにかく広かった。乗り換えに現地の人でも迷うほどだ。そんな中で一番の驚きは、エスカレーターの速さだろう。穏やかな日本のエスカレーターと異なり、ものすごく速かったことを覚えている。数回乗ったところで慣れたのだが、あれは一つの恐怖体験といっていいだろう。
他にも、語り尽くせない思い出が沢山ある。今回の修学旅行で得た貴重な経験や、目で見たもの、肌で感じたものを忘れず一生の思い出にしたい。(5年3組 林・加藤)


テーマ:友達
 初めに、僕達のシンガポールへの修学旅行は皆の思い出に残る素晴らしいものだったと言えるでしょう!その中で、僕がシンガポール旅行中に見た二つの“新しい友達”について書こうと思います。
 一つ目は、僕達が旅行2日目に現地の高校生の方との学校交流で出会った“友達”です。短い時間のなかでもお互いを理解し合い、SNSを通して新しい友達を作っている人を多く見掛けました。遠く離れた国でも、全く違う文化でも、友情は変わらないものだと実感しました。
 二つ目は、旅行中の班行動で見つけた“友達”です。班決めの際には、GSの授業で行うグループ研究も関連させて編成しました。そのため、中には普段あまり接点のない人同士が組むこともありました。しかしそんな班であったからこそ、今まで知らなかった新しい友達の良い所や得意なことを知る貴重な機会となったと思います。
 修学旅行を通して出会ったこの二つの”新しい友達”は、僕達の一生の宝物になったのではないでしょうか。 5年2組 岡田



テーマ:Outcome
 私達は、今回の修学旅行で非常に多くのことを学ぶことができました。英語を使って異文化交流することの難しさや楽しさ、多くの文化が混在して成り立っているシンガポールの歴史、文化圏によって全く異なる環境など、実体験だからこそ吸収できたことはたくさんあり、とても勉強になりました。GSの課題研究の役にも立ちました。その他にも、学年の仲間達との友情や先生方との信頼関係など、学校生活をより充実させるために必要なものを得ることができ、本当に良い思い出になりました。これらの成果を、これからの生活に活かしたいです。5年4組 青木


群馬巡検(感想文)

  
  

1組

 まず
1つ学んだことは「思いやり」である。私たちが歩いていると、「こんにちは」と声をかけ、「どこから来たの?」と笑顔で話しかけてくださる人がたくさんいました。また、何も言わなくても、パンフレットをくださったり、解説してくださったり、そんな現地の人の優しさにふれた。そして、お昼を食べるところが食べることができず、戸惑っている私たちに、「ここで食べていいよ。外は暑いからね。」と言ってくださった人たちに感謝したい。

次に...

...二つ目に学んだことは私が今までに全力でやれていなかったことだ。調べ学習の時、私のテーマである魅力を伝えたいという気持ちはうすかったのだと現地で実感した。ガイドツアーに参加し、ガイドの方々の話を聞いた時、ガイドの方は本気で魅力を伝えようとしていた。とても楽しそうに。私は楽しむわけではないが、自分のやりたいことを本当に伝えることができただろうか。今までのゼミ中で私は本当に魅力を伝えようとしていたのだろうか。気持ちは伝わっていたのだろうかと思った。だから私はもっとしっかり伝えたい事を伝えていけるように、これからの総合を頑張りたい。そしてガイドの方に感謝したい。

三つ目はしっかりとルールを守ることができ、多くの事を学んだことだ。電車の中でうるさくしない。スマホは出さない、使わない。買い食いはしてはいけないなど当たり前のルールを守ることができた。とても当たり前のことかもしれないが、自由に行動できるからこそ、大切なのだと思った。そしてそれだけでなく、あいさつやお礼などもしっかりできたと思う。

最後に、今回学んだ多くのこと、研究に関わることだけでなくあいさつや思いやり、全てのことをこれからの研究に役立て、よりよい研究、発表になるように努力していきたいと思う。

2組

私のテーマは「絹遺産と近代化と私〜絹遺産による近代化と経済効果〜」である。テーマの通り私は「近代化」というキーワードを元に研究を進めようと思ってる。富岡製糸場を建てた当時もその時代よりも新しい設備やプランの元近代化されていたと思った。今の時代もその時代がより近代化してきている時代であるのだ。このような考えを持ち群馬巡検にいったものである。

富岡製糸場設立当時、日本では手に入れられないものをフランスから輸入した。蒸気エンジン、フランス式繰糸機、ガラス、サッシ、パテーなどがある。蒸気エンジン通称「ブリュナエンジン」。フランス式繰糸機はフランスでは旧式であったため安かったらしい。また、自然光が必要だったが日本ではまだガラスを作る技術が無かったため海を渡ってきたらしい。特に繰糸機は小柄な日本人のために台を低くしてもらっていた。また、湿度が高い日本で糸をつくるため、「揚げ返し」ということを行っていた。揚げ返しをしないと、糸同士がくっついてしまうからである。私はこれらのことを知り、良く考えられていてそういうところまでもしっかりしているのだなと感心した。

また、下仁田歴史館では、下仁田社のラベルかっこ(見本)を見ることができた。このラベルを貼ることにより、どこの会社のブランドなのかを示すことができた。また、富岡製糸場と下仁田の歴史についても知ることができた。

今回の巡検では新しいことをたくさん知れた。もちろん知っていた内容もあったが、その情報の正確さも確かめられたと思う。

富岡製糸場と下仁田歴史館で自分が質問したいこともきっちり聞くことができた。これらをちゃんと自分の研究に生かし、自分の研究を進めていきたいと思う。 

3組

  実際に調べたいものに生で対面することができて非常に良い機会になったと思います。インターネットでは分からないくわしい情報やなかなか見れないものなど体験できて、より自分の研究テーマへの興味がわいてきました。わたしは富岡産のシルクを加工してたんぱく液にしたシルクタンパク抽出液がねりこまれている食品、「食べるシルク」について調べています。私は今までシルクタンパク液に主成分のフィブロインなどの方面での研究をしていたのですが、今回巡検に行って初めてシルクタンパク液を開発した長島孝行さんのことや富岡産シルクタンパク研究会のことなどシルクタンパクに関するいろいろな方面の切り口がでてきたので世界が広がって情報がたくさんに手に入り、良かったです。

  また、私は食べるシルクの良さを宣伝して他県の方などもそれを食べる目的で足を運んでいただいて富岡そして群馬全体を盛り上げることが最終目標です。だから、今回はシルクタンパク液を配合しているお菓子を食べることでどんな良い効果があるかを知ることができました。例えば、シルクタンパク液の中のフィブロインにはアミノ酸が含まれていて肌にうるおいも持たせたり、難消化性でメタボ対策にもなる。そして、無味無臭なので食品に配合しても違和感がなく、なめらかな食感を引き出してくれます。そんな、食べることによっての「メリット」をたくさん知ることができて良かったです。今後は、まだあまり広く知られていない「食べるシルク」をどのようにして食べてみたいと思ってもらうかを考えていきたいと思います。その中でもまずはそのお菓子を食べることによってのメリットをさらに調べて多くの人の興味や関心をよせられるように下準備をしていきたいと思います。今回で実際にお店をうかがえてとても良かったです。 

4組

群馬巡検は、暑い中、しかも移動の半分は徒歩なので疲れたが、本やインターネットではなく現地ででしか得られない情報を集めることができた。特に、織物参考館〝紫“では、1500年ほど前の「おもり機(ばた)」から現在もこの工場で使われている「コンピュータージャカード」まで、機械の進化のようすを見ることができた。やはり、本やインターネット上の写真ではなく、本物を近くで、生で見たほうが、機械の仕組みや工夫もわかりやすかった。ほとんどの機械はガイドさんが実演してくれ、ジャンボ高機(たかはた)や半高機は自分たちでも体験できたので、織ることの大変さや苦労を少しは共感できたのではないかと思う。また、ガイドさんの説明もわかりやすく、たくさんの情報が得られた。

文化むらでは、実際に旧対比地家(ついひちけ)住宅に入って見学することができた。移築されたものだそうなので、当時と全く同じわけではないだろうが、屋根などに養蚕農家ならではの工夫を見ることができた。また、養蚕を含む農機具もたくさんあり、見ていて楽しかった。写真も撮ったので、後のまとめなどにも使えると思う。さらに、少し絹遺産からはずれてしまうが、大泉町にはポルトガル語の看板が多く、文化むらにもいくつかポルトガル語の貼り紙があって驚いた。

また、普段の授業と異なる〝学校外“での活動だった。だから、いつもは乗らない電車などの利用、公共マナーについても気にかける機会が多かった。そういった経験もできたので、よかった。移動は電車と徒歩、その上炎天下だったので大変ではあったが、総合の授業としての情報収集、学校外での活動、公共の場でのルールやマナーなど、たくさんのことを学ぶよい経験になったと思う。